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2008/11/20更新 |
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日米安保条約と戦争権限法
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11月7日という日は、日本にとって、忘れてはならない日であるということを我々は今一度銘記すべきである。
それは、今から35年前の1973年11月7日に米国議会で成立した「戦争権限法」という国内法の法律の制定である。戦後、我国は自国の安全保障の全てをアメリカに委ね平和病日本といわれるまでに、
国家の主権をかえりみることなく、経済一筋に国を動かし世界に冠たる経済国家を樹立できたのは「日米安全保障条約」というアメリカとの一本の条約のおかげである。
しかし、1973年11月7日に成立した「戦争権限法」は、日本が有事の際に、
当たり前のように米国が自国の如く守ってくれるだろう(合衆国軍隊を投入して)と堅く信じて疑わなかった、その前提を大きくゆるがし、悪く言えば否定されるのではないか、否、それほどの法的根拠を与えるものであり我国にとっては、日本の安全保障のために合衆国軍隊を行使するかどうかという日米安保の条約の執行面にまで及ぶ、大事な国内法であるということを我々は自覚しなければいけない。この「戦争権限法」と我国の安全保障との関わりについては、国会でもたびたび問題となり、何度も指摘されてきた。
私が師事した玉置和郎先生は、この問題を参議院予算委員会でも取り上げ、なかでも昭和55年3月19日の予算委員会では、永年専門的に研究されてきた国会図書館の宮脇岑生氏を参考人として呼ばれ(氏はこのテーマに関して専門書も書かれている)詳しく質疑されているので、今日はその内容を参考にし、宮脇氏の著書も引用させていただいて触れてみたい。
すなわち、この法律の意図するところは合衆国大統領が合衆国軍隊を海外に投入する際に連邦議会の事前、または事後の承認を必要としていることの背景である。
まず、この法律がうまれた背景から説明すると、そもそも、アメリカ大統領と議会の戦争権限はアメリカ憲法制定期から永らく長い間、論争されてきたものであり、それは行政府と立法府の「力関係」の表れでもあると言える。
とりわけアメリカ大統領の戦争権限は非常に強大で際限なく、その本質はチャルズ・ビアード教授によれば「アメリカ合衆国がすべての試練を切り抜け存在しなくなるまで完全には理解することのできないものであり、それは前人未踏の暗黒大陸である」とまで言っているように、戦争権限に関する論争がアメリカの歴史上絶えず問題点になってきたことであり、それは憲法の規定が曖昧であることが大きな原因と言われている。
「戦争権限」という言葉の定義は必ずしも明確でなく、その定義が難しいこともあるが、簡単にいえば「憲法に明確に禁止されていないかぎりの戦争を成功裏に遂行するためにとられるすべての権限であって、それは包括的なものである」また、戦争権限という用語は一般には外国との武力による敵対行為(ホスティリティ)を宣言し、遂行し、終結をする権限を意味する。
この戦争権限について、アメリカ憲法上一般に認められているのは、大統領を合衆国陸海軍および民兵の総指揮官(憲法第2条第2節第1項)と定め、軍に対する総帥権を大統領に与えたこと、そして宣戦布告の権利と軍隊の募集、編成と維持に関する権限を連邦議会に与えたことであった。
特に第2次大戦後、朝鮮戦争やベトナム戦争などのように連邦議会の「戦争宣言」なくして合衆国軍隊を投入した例は多数あり、特に、ベトナム戦争においてはなしくずしの軍事介入から大統領が軍事行動を起こした教訓から生まれた法律といえる。
1973年の93議会において7月20日にジャビツツ議員を中心に提出した法案が上院で、また、ザブロッキー議員を中心に提出した法案が下院で7月18日に可決された。
上・下両院の法案は大統領の戦争遂行権限を抑え議会の声を戦争政策に取り入れさせることを目的としている点では方向は同じであったが、具体的には異なっていた。その主なものは、議会の同意なしに大統領が軍隊を投入する期間を上院は30日、下院は120日としたが大幅に違うため、上・下両院協議会において、60日間と調整し、それ以外も修正をして'73年10月10日上院で賛成75、反対20で可決。10月12日には下院で賛成238、反対123で可決された。
しかし、10月24日ニクソン大統領は憲法で認められた大統領の権限を制約する上、外交的にもアメリカの立場を弱めるものとして拒否権を発動し、再び上・下両院に差し戻されたが、11月7日 上院で賛成284、反対135でそれぞれ拒否権を覆すに必要な3分2を上回る結果で再可決、成立したのである。
アレンM・ポッターによれば、アメリカの立法史上でも連邦議会がイニシアティブを発揮して成立させた法律は3しかなく、それは、
1938年の公正労働基準法、1948年のタフト=ハートレー法、そして73年の戦争権限法であるとしているように、歴史的立法と言われている。
以上、この法律の立法経過を簡単に述べてみた。
一体、この法律のどこが日本にとって大きな危機なのかを述べてみたい。
「戦争権限法」の直接の成立となった「引き金」はなんといっても「ベトナム戦争」であろう。
ケネディ、ジョンソン、そしてニクソンと3代の大統領が関与した。
1964年のトンキン湾事件に端を発した、この戦争は1965年2月の北爆開始で本格化、以後1975年のダナン陥落プノンペン引き揚げ、サイゴン引き揚げでアメリカが敗北、犠牲者も54万人中、米国は4万6千人、朝鮮戦争時の35万人中、
3万4千人をはるかに上回る数の犠牲者を出したこの戦いは、アメリカ国内に若者を中心として「反戦」という空気を作り、世界にその影響は波及した。
正に、アメリカの世論が爆発その結果なしくずし的に始めたベトナム戦争への批判と共に、大統領の戦争権限の在り方が問われ、連邦議会での立法の動きとなった。
日本と違い、アメリカはしっかりと世論が定着した国である。
政治家も「世論」はしっかりと受け止める体制になっている。
まさに世論が政治を動かしているという現実は、それだけ民主主義が定着している証左でもあろう。
今、アメリカは2001年の9.11同時多発テロ後「テロとの戦い」を続けてきた。
ブッシュ政権に「No」という答えを出し新しいリーダーを選出した。
政権交代もなされ、アメリカ国民の「変革」への期待がうかがえる。
確かに経済政策の失敗から、金融不安を招き、アメリカ発の金融危機が世界を駆巡って、今、どの国も未曾有の経済不安の中、対応が求められているが、今回の政権交代の大きな「うねり」はなんといっても、テロとの戦いが長引き、とりわけ、イラク戦争、アフガンでの戦いで自国の若者が多数犠牲になっている事への反発が生んだ厭戦への空気「何故、アメリカの若者が他国に行って他国のため」イラクの民主化のため)に尊い犠牲をいつまでも払わなければいけないのか!」といいう、正に、国民にとっては素朴な疑問、憤りがあることは否めない。
私は、今、アメリカがだんだんと内向きになっていき、国民が「世界の繁栄国家=アメリカ」というポジションよりも、もっと小さくても「自分の国を自分の国民を大切にする」ということの選択を求めているのだと感じる。
だとすれば、これから、世界の各地で今もアメリカの関与した戦いが行われているが、この北東アジアにおいても独裁国家北朝鮮という、非常に危険な国が目の前に存在し、ブッシュ政権もあまり成果を生み出せなかった事と、政権末期の中で何か外交で目を見張るものがほしいのか?北朝鮮に対する無条件?ともいえる譲歩は我が国の存在をまるで無視したかのようであり、また、中国もロシアもこのところ超大国を目指しているのかの動きは、正に新しい冷戦のスタートが始まっていて、一人日本が取り残されている感は否めない。そして、これらの国々はいずれも「核保有国」であることを我々はしっかりと頭に刻んでおくべきであろう。
今後、これらの国々は「国益」を最優先とし、パワーゲームを展開していくであろうから、益々不安定化は増大する。
しかも、世界でもまれな親日国家であった台湾もこの3月に馬政権が誕生して以来、両岸関係(台湾海峡をはさんだ大陸中国)の改善は驚くほど速いペースで進み(これは、台湾国民の独立派から反発をかい、デモまで続いているが)大陸中国の「台湾」取り込みの「為商囲政」の戦略は着実に進んでいる。
また、せっかくの親日政権が誕生した韓国も「竹島」という領土問題を抱え、我が国とはギクシャクしている現状は、これ以上大きく問題が拡散していくならば、一番喜ぶのは中国や北朝鮮であり、北東アジアの不安定化を避けるためにも「政治的解決」を目指して努力する時期であろう。
こうしてみてみると、我国をとり巻く環境は厳しく最早、経済貢献だけしていれば(その経済貢献を支える原質も、経済悪化で充分ではない)
「平和は保てる」などと呑気はことを言っている場合でない。
もう一度「戦争権限法」に戻るが、もし、我国に有事が発生した場合我々がアメリカに対して「当然」と考えている共同防衛条項(日米安保条約第5条)「日本に対する武力攻撃が、アメリカの平和と安全を危うくするものであることを認め、アメリカ憲法の規定及び手続きに従って日米共通の危険に対処するよう行動する義務を負うことになっている」
しかし、これはイコール具体的な戦闘行動を意味する規定ではないことも認識しておかなければならない。
また、同じ状況下にあっても、例えば北大西洋条約(NATO)の
第5条は「北大西洋地域の安全を回復し及び維持するために、その必要を認める行動(兵力の使用を含む)」となっており、二つの条約においても米国の義務と責任には大きな差がある。
これらを考えても、我国がアメリカに期待する根拠は唯一、米国の陸・海・空軍の最高司令長官としての大統領の判断に頼らざるを得ないのが現状であろう。
しかも、アメリカと日本の関係がその「有事」の際、どんな状況になっているかでも随分と、アメリカの判断は違ってくるのは間違いない。
余談であるが、その点においてこの安全保障だけの分野で最近の日米関係をみると、あの小泉元首相はブッシュ大統領との個人的な信頼関係を構築した点では貢献していたと率直に評価したい。
日本有事の際にもし、日米安保条約がうまく機能しない可能性をいくつか考えてみると一つ目、アメリカと日本の間にかつての日米経済摩擦のような何らかの溝がある場合。
二つ目、アメリカの政権が日本に対して、あまり親日的でない政権が誕生している場合(クリントン政権は日本パッシングが常道だった)
三つ目、アメリカが世界のどこかで何らかの戦争や紛争に関与(第一義的にも、第二義的にも)していて、その戦いの中で例えば「イラク戦争」や「アフガニスタンでのテロとの戦い」のように、アメリカの若い兵士が多発犠牲となっていた場合(世論は何故アメリカの若い青年が他国の戦争のために犠牲にならなければいけないのかといった感情論で)
四つ目、アメリカとの間に、お互いが信頼関係を損なうような政治的条件がある場合等、以上可能性としてマイナスに作用するのではないかという理由を挙げてみた。
そして、法律面で我々がしっかり理解をしておかねばならないことは、アメリカではこうした日米安保のような条約、特に相互防衛条約等で合衆国憲法第6条2項に「条約と法律は平等である」とうたっている。
これは条約が国内法に優位するという解釈がほとんどできず、原則として一般的にいわれているように後法が前法に優位する。
すなわち国際法にいうところの「後法優位の原則」というものを米国はとっている。
この解釈からいえば、1960年発効の「日米安保条約」よりも
1973年に成立した国内法である「戦争権限法」の方が明らかに優位であるという解釈が正しい。
日本では条約が優先して、国内法はそれに従うというようなことになっているが、正に日本と米国との決定的な違いはここなのである。
このような事実をしっかりと我々は直視しその上で「我国の主権」をどう守って行くのかという事は、まず日米のパートナーシップの在り方をしっかり構築するということ、そして、日本はしかるべき対処をどうしていくかをきちんと考える。
それは、集団的自衛権の解釈問題、憲法九条の問題、非核三原則(有名無実となっている)の問題、武器輸出三原則等々、いろいろと政治家も、国民も覚悟をもって取り組まなければならぬ課題の多さにどのようにしっかりと答えを出していくこということであろう。
先の大戦以後、安全保障の核心の全てをアメリカに委ねてきた
「ツケ」が今、ここにきて我国の存立を危ういものにしていきつつある事を実感する。
どの国もまず「国益」優先を考え政策を作り上げていくが果して、今の日本に「国益」などという言葉が存在するのか、はなはだ疑問である。
もっと我々政治家も、また、国民も「覚悟」を持たない限りいずれ、どこかの国の属国となることは間違いない。
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